ごきげんよう!mamanです。
先日、娘の高校で、夏休み前の三者面談がありました。
担任の先生からの質問に対して自分の考えを話す娘を隣で見ていて、普段は寡黙だけれど、心の中ではいろんなことを考えているんだなぁと、頼もしく感じました。
子どもには自分の考え・自分の言葉というものを持ってほしいと思っていますが、一方で、子どもの考え方には少なからず親の価値観が影響していることを感じることもあります。
娘が小さい頃、私の何気なく発する言葉がこんなに娘に影響しているのかと怖くなった出来事があったので、今日はそのことを思い出して書いてみます。
娘の「初めての言葉」は私の口癖
うちの娘は、今でこそ寡黙な JK ですが、小さい頃はよくおしゃべりする子で、のどが痛いと言うので耳鼻科にかかったら「しゃべりすぎ」という診断を受けたことがあるほどです(笑)。
そんな娘の「初めての言葉」には、ちょっとしたエピソードがあります。
みなさんのお子さんは、「初めての言葉」は何でしたか?
マンマ
ママ
ワンワン
などが多いでしょうか。
うちの息子は、マンマとワンワンをほぼ同時期に話し始めました。母子手帳には、母親の権限で「マンマ(ママ)」と書いてあります(笑)。
ところが娘は.・・・。
娘の「初めての言葉」は「アーモウ」でした。
最初は、何を言ってるのかわからず、「アーモウ」って何だろうと思っていたのです。
何かを指さして言うわけでもなく、「アーモウ、アーモウー」と繰り返すこともありました。
「ママ」や「パパ」と言っているわけではなそうだし、動物の名前でもなさそうで、ずっと謎のままだったんですよね。
・・・その謎が解ける瞬間は、ある日突然やってきました。
とある夏の日、息子が麦茶を飲んでいて、盛大に床にこぼしたその時、娘がすかさず、
「アーモウ!」
と言ったのです。
私は瞬時に悟りました。
「アーモウ」は、私の口癖なんだ、と。
なぜ瞬時にわかったかというと、息子がお茶をこぼしたその瞬間、私はまさに
「あー、もう!」
と口から出そうになっていたからです。
当時は2歳差の幼い子ども達を育てていて、しょっちゅう何かをこぼされては、常に何かを拭いているような日々だったので、何かこぼされるたびに
「あ~、またやられた~!」
「あ~、もう~!」
という心の声がダダ漏れで、私の口癖になっていたのでしょう。
そうだとすると、娘の「アーモウ」は、使うシチュエーションも発音も、それはもう完璧でした。感心するほどに(笑)。
思わず笑ってしまいましたが、一方で、自分では気づいていなかった(あまり良くない)口癖が娘に刷り込まれ、娘の初めての言葉が「あー、もう!」などという何の感動も生まない言葉になってしまったことがショックでした。
あまりにショックで、娘の母子手帳の「初めての言葉」の欄に「あー、もう!」と書くのが嫌だったのでしょう。
カタカナで小さく「アーモウ」と書いてあります(笑)。
子育てにうんざりする日があってもいい
今、高校3年生になった娘に当時のことを聞くと、自分が「アーモウ」と言っていたことなど、覚えていないそうです。
覚えていないのが救いです(笑)。
子どもには前向きな声がけをするように心がけていたはずなのに、育児に疲れ、うんざりしていた私も確かに居て、しかもそれを隠しきれていなかったという、自慢にもならないエピソードですが、娘が笑ってくれたので、笑い話になりました。
私は、このエピソードから、
「育児に疲れている自分を隠さなくてもいい。」
という教訓を得ました。
娘の「アーモウ」の意味がわかった直後は、
「育児疲れした自分を、子どもに見せないように気を付けよう。」
と反省したのですが、大きくなった娘が
「ママ、よっぽどうんざりしてたんだね。」
と笑い飛ばしてくれたあとは、
「そうなのよ、母親にだって、もう何も拭きたくないっていう日があるのよ。」
と言えるようになり、気が楽になったのです。
夏休みに入り、日々のもろもろにうんざりしているママさん達も多いと思います。
でも、うんざりしている自分を責めなくても大丈夫です。
気を楽にして、
「あ~、もう~!」
と盛大にボヤきながら、なんとかかんとか乗り切りましょう。
子ども達は、きっと笑って許してくれますよ(笑)。
maman
地方在住のアラフォーママン。 夫と、ティ―ンエイジャーの息子・娘と暮らし、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。