12歳、8歳、1歳の3人の男児を育てています。
上の子たちは5学年差、下の子たちは6学年差なので小学校ですら1年しかかぶらず、「小学生の保護者」を計17年(!)することになります。
いちばん上といちばん下は11歳差なので、育児の常識も変わっていて「上の子の時はこうだった」はおおむね役に立ちません。
洋服やおもちゃのおさがりは大量にありますが、それを次の子が使うまで管理するのも大変です(保存していても忘れてしまうこともしばしば)。
また、年が離れていると一緒に楽しめるアクティビティが少ないので、旅行へ行くと一緒にできることがなくて誰かがガマンすることになりがちです。
仕事が忙しかったので、育児休暇から復職したらしばらくはバリバリ働かなければと思っていました。その結果としてこのような年齢差になったのですが、子どもたちに年の差があってよかったなと思うことの方が断然多いです。
ひとつめの理由は、大きい子が小さい子を見ていてくれるからです。
中学生にもなれば保育園のお迎えも行けますし、大人の人手がもうひとりいる感覚です。年は離れていても性別は一緒なので、いわゆる「男子の遊び」をしながらいくらでも遊んでいてくれます。
我が家の子どもだけでなく、子どもの友達もみんなで面倒を見てくれます。
公園に行けば、大勢の小中学生が我さきにと三男の「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」になってくれるのです。
「0歳ってまだしゃべらないんですか」と驚いて聞いてくる子もいます。赤ちゃんと触れ合う機会は、子どもたちにとっても発見が多いようです。
ふたつめの理由は、小さい子が大きい子を和ませてくれるからです。
思春期に片足突っ込んだ中学生は、精神的に不安定なことも多く、時に腫れ物に触れるように接しなければいけない時もあります。でも、そんなこと、赤ちゃんには関係ありません! 遊ぼう遊ぼうとどんどんまとわりついて、達成されなければ泣きます。
そんな赤ちゃんを見ていると、思春期の中学生もポーカーフェイスをつらぬいていられません。全力であやしたり、笑わせようとしたり、一生懸命してくれます。そして、赤ちゃんを育てることの大変さを間近で見ているので、「僕も育てるのこんなに大変だったの?」とときどきポツリと聞いてきます。「大変だけど、それも忘れちゃうくらい可愛くて楽しかったよ」と答えると嬉しそうです。なかなかストレートなコミュニケーションが難しい時期ですが、赤ちゃん育児を通してあたたかな心と言葉の交流ができていると実感します。
みっつめの理由は、親である私も子どもたちのいろいろな時期に思いを馳せながら子育てできるので、少なからず余裕が生まれるということです。
今は生意気な中学生も小さい時はこんなアホなことしていたなあと振り返ったり、泣き止まなくて抱っこであやし続ける時も腕に抱えられる時期なんてほんの一瞬なんだよなあと思えたり、「今がすべてではない」と思えることは、子育て期のどんなフェーズでも心の支えになる考え方であり、かつ今がかけがえのない一瞬なんだと自覚する大切なきっかけです。
また、変わり続ける育児常識を目の当たりにし続けることで、子育てにおいてこれが当たり前ということなんて実はそんなになくて、そのときどきで子どもと向き合って良いと思うものを自分で考えて選べばいいということにも気づけます。
長男を保育園に預けていたころ、送迎を父親である夫がメインで行う我が家は少数派でした。
私は仕事にかまけて、と非難されることもありましたし、夫は奇異の目で見られることもあったようです。でも、今はまったくそんなことはありません。父親が送迎をするのはごく当たり前の光景になりました。誰だかわからない「みんな」の言うことなど、気にする必要はなかったのです。
これからも、それなりにいろんなことがあるでしょう。
子育ては、人間同士のこれ以上にないくらい密なコミュニケーションなので何もないわけないのです。
それでも、分散しいろいろな視点で物事を見て、ゆるくつながりあう関係があれば、乗り越えていける気がしています。家族の誰もが、誰もにとってちょっとずつ必要な今の関係を、これからも回していきたいです。
harusame
年の差のある3人の男子を育てるワーキングマザー。