ごきげんよう!mamanです。
今日は、我が家の習い事について、振り返ってみようと思います。
「一般教養」期と「専門課程」期という考え方
まず、子どもの習い事についての私の考え方ですが、私は、本人のやりたいことが出てきたら、1人につき1つだけ、習わせてあげたいと考えていました。
でも、本人のやりたいことが定まるまでは、大学のカリキュラムで言うところの「一般教養」のような感じで、広く浅くでいいので、学んでおいて損はないことを習い、本人のやりたいことが定まったら、そこからは「専門課程」として、それを本人の気が済むまで深く追及していく、という考えでした。
ただし、習い事の数は1人につき1つ、2人合わせて2つまで。
それ以上は、金銭的にも、送迎の負担的にも、子ども本人のキャパ的にも無理だと判断しました。
本当は、「一般教養」と考えるなら、いろんなことをたくさんやらせてあげたほうが、より可能性が広がったのかもしれませんが、子どもの習い事って、金銭面や送迎や親の役員・係など、子どもだけではなく親の頑張りも必要になってくるので、無理は禁物だと思います。
1週間すべての曜日が習い事で埋まるような事態になると、子どもも自分もパンクすると思い、意識して数は少なめに設定していました。
そして、できる限り、兄妹が同じ曜日・同じ時間帯・同じ場所に通えるものを探しました。
我が家の「一般教養」期は、まだ子ども達が小さく、また、東日本大震災があって、余震も大きいものが来たりしていたので、どちらかを送迎するためにもう片方を1人でお留守番させるなどということは避けたかったのと、私の送迎の負担を軽くするという意味で、同じ曜日・同じ時間帯・同じ場所にこだわりました。
「一般教養」期の習い事は「動」と「静」を1つずつ
「一般教養」期の習い事は、できれば「動」と「静」を1つずつがいいなと考えていました。
「動」...体を動かす習い事。
我が家の子ども達は、残念ながら運動神経がずば抜けているわけではなかったので、あくまで体を鍛えるとか、体を動かすことの楽しさや清々しさを知って、大人になっても運動を習慣づけられるようになったらいいなと思いました。
「静」...静かに感性を磨くような習い事。
こちらも残念ながら、我が家の子ども達は、音楽にも芸術にもずば抜けたセンスは感じなかったので(苦笑)、何か心の栄養になって感性を磨けるようなことに触れ、一生の財産にしてほしいと考えました。
学校で授業があることを習う
では、その「動」と「静」を1つずつ、という観点で選んだ我が家の習い事は何だったかというと、スイミングと習字でした。
スイミングを選んだ理由。
・気管支が弱くて入院したりしていたので、体を丈夫にしたかったから。
・災害が増えている昨今、水害に遭ったときにも役に立つスキルだから。
・学校の水泳の授業で泳げないと、夏の間じゅう辛いだろうと思ったから。
習字を選んだ理由。
・きれいな字は一生の財産になるから。
・子どもにも静かに集中する時間が必要だから。
・学校の習字の授業の助けになるから。
です。
技術の習得や、体力・集中力をつけることはもちろんですが、私がいちばんこだわったのは「学校の授業で習うこと」という点でした。
学校で習うことを、わざわざ学校外で習う必要はないという考えもあるかもしれませんが、学校で習う時に、少しでも「やったことがある」ということは、子どもの意欲を引き出す上で、大きなアドバンテージになるんですよね。
スイミングにしても習字にしても、小学校から高校まで水泳の授業があるとすると、得意なこととしてその授業を受け続けるのと、不得意なこととして受け続けるのでは、学校生活の楽しさ・クオリティが全く違ってきます。
そして、得意なことが1つでもあるという自信がもたらす意欲は、学校で習う他の教科や活動に臨む際のパフォーマンスにも、大きな影響を及ぼすんですよね。
勉強でもそうですが、学校で習うことって、学校の授業だけで修得することは難しかったりします。
鉄棒の逆上がりも「おうちで練習してください」と言われる時代です(娘が言われたことがあります)。
勉強にも家庭学習が必要なように、実技系の教科も学校外での練習の機会があると上達が早いですが、家庭でスイミングや習字をフォローするのは難しい・・・だから習い事に外注しよう、という考えでしたが、その目的は、ある程度は果たせたと思っています。
次回は、スイミングと習字を習ったことで得られた、想定外の副産物について書いていきますね。
maman
地方在住のアラフォーママン。 夫と、ティ―ンエイジャーの息子・娘と暮らし、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。