[1]ヤンママ期の始まり!ハタチで結婚&妊娠・・・めでたく永久就職?!思ってたのと違う!

こんにちは、2児のアラフォー母【めんつよまま】です。

子どもたちと過ごした怒涛の日々を振り返ります!

------------------------
専門学校2年生の頃。
当時の私は洋楽をきっかけに、英語の勉強に大ハマり。
ホテルや観光系、英会話スクールや留学斡旋会社などを志望し、将来に向けて就職活動に張り切っていたものです。いつか海外で仕事してみたい!と夢見ていました。

卒業も近くなった頃、妊娠発覚。
就活も中断せざるを得ない状況になり、観光系会社に就職することなく、家庭へ永久就職となりました。
(その15年後に残念ながら離婚しますが、もちろん当時は喜びましたよ!)

齢ハタチのわたし。
社会人になることなく、あっさり専業主婦として家庭へ入ってしまいました。

ハタチのできちゃった婚(20年前には、授かり婚、おめでた婚という素敵な言葉はありません)です・・・それはもう、めちゃくちゃ大変でした!

幸いにも双方の母親たちは快く認めてくれましたが(わたしと元夫、どっちも母子家庭でした)・・・私の祖父が、大変なお冠でした。
自分でいうのも何ですが、母子家庭の一人っこ箱入り娘で、甘やかされて育った私は、祖父から見れば世間知らずのピヨピヨのひよっこ。ピヨがピヨを産んで育てるのかと。
昔ながらのカミナリオヤジである祖父からの、今思えば愛ゆえのお叱りが・・・当時は震え上がるほどに怖かったですね・・・

なんだかんだはありましたが、一応、祖父からも結婚を認められ、その後はトントン拍子に進みました。

専門学校を無事に卒業、入籍&我が家へ夫が移り住む形で同居スタート、結婚記念写真撮影・・・。挙式はしませんでした。妊婦だからと理由をつけましたが、本当は20歳と23歳の若い私たちに挙式するお金があるはずがありません。

あれほど反対された祖父から、全額出してやるから式をあげなさい、と申し出がありましたが、夫の顔を立ててお断りしました。

家族からは、まあまあ(?)あたたかい目で見守られましたが、世間様はそう甘いものではありませんでした。

当時のわたしは明るい髪色、スレンダー体型、へそ出しルック、短い丈のスカート、厚底ハイヒール・・・お腹も小さい時期はどう見ても妊婦さんには見えません。自覚があったので、なるべく早い時期からマタニティ用のワンピースを着用しましたが、全く効果なし。どうにも見た目が若かったので・・・ヤンママに見えたのでしょう。(ヤングママ&ヤンキーママ)

平成14年当時はマタニティマークが、まだありませんでした!

お腹がそこそこ大きくなるまで、周囲からは妊婦だと認識されず、バス、電車ではつわりが辛くても優先席に座れなかったり、道行く人とぶつかったり・・・。
やっと妊婦らしい体つきになってからは、より一層世間様からの冷たい目が突き刺さりました。ジロジロ見られたり、面と向かって若いわね、と言われたり・・・。今思い返しても、色々な意味で辛かったですね!
当時の写真に映るわたしは、色の抜けた金髪ボブ、あどけない顔つきなのに目つきだけ鋭い、おとなっぽいデザインのマタニティワンピースか、またはヤンキー風ジャージ・・・なかなかにアンバランスで個性的、尖った風貌をしております。

今ほどネットも普及しておらず、もちろんスマホもなかった頃なので、とにかく情報が取り入れづらい時代でした。

世はガラケー時代。育児本や名付け本などを買い漁っては読みふけっていた、なんとも孤独なマタニティライフでした。

なんだか全体的に・・・
思ってたのと違う!!

当時の私は夢見る夢子のハタチ。
結婚したら漫画やドラマのような薔薇色の日々を、悠々自適に過ごせるものだと疑っていなかったのです。
浅はかにも、本気でそう思っていたのです・・・。
それが、わたしのヤンママ時代の華々しい(?)スタートでした。

次回は同時期に結婚&出産していた友人とのコミュニケーションの話へ続きます。

めんつよまま
横浜生まれ。成人済み長男と肢体不自由児次男を持つ、メンタル強めアラフォーママ。シングルマザー、のちに再婚。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事