こんにちは、2児のアラフォー母【めんつよまま】です。
子どもたちと過ごした怒涛の日々を振り返ります!
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今から20年ほど前のこと。
今でこそ優雅なアラフォーママを気取るわたしですが、イキリまくり&とんがりまくりのツンツンマタ期・トゲトゲヤンママ期がありました。
神経過敏ピリピリ状態のマタニティ期は、まるでハリネズミ。
大きなお腹を抱えて、神経をはりつめているせいもあり無駄にメンチを切りながら街中を闊歩していました。
そんなマタ期を乗りこえて、いよいよ出産へ!
人生初めてのお産は超安産で、陣痛が始まって、病院に着いて2時間ほどで産まれました!
出産自体は一瞬の痛みでしたが、大パニックの大騒ぎしてしまい・・・分娩室で大声で吠えまくってしまったので、あとから恥ずかしかったです。
お産の最中に、もう1人は欲しいなぁと考えていました。
授乳室では産後ママさんや看護師さんからかわるがわるに「ママさん何歳ですかー?」と何度聞かれたことか・・・。
出産後、疲れ切ったスッピン&童顔と、真っ赤な産後用パジャマ姿で、さぞや若く見られたのでしょう、しまいには「あなたのお母さんは、お幾つ?」と、わたしの母の年齢まで尋ねてくる人もいました!(当時わたしの母親は46歳)
連日質問攻めだった入院生活から解放され、新生児の育児が始まりました!
当時はまだ分煙がそれほど厳しくなかった頃で、ストレスMAXのわたしは、育児の合間にタバコを吸うことがありました。
長男を産んでまもなくして21歳になりましたので、年齢的には問題なし。ただし、小さい子供の前で吸ってしまったことがあるので、モラル的に欠ける行動だったと反省しています(涙)
金髪ボブのヤンママ、ジャージが私服、無駄に無敵な最強卍なわたし。
今思えば暗黒期・・・産後のガルガル期だったのでしょう。
当時は21歳。
どこからどう見ても若いママでしたので、赤ちゃん連れで、街ゆく人からすれ違う度ジロジロ見られている気がしていました。その頃のわたしは今よりも100倍神経過敏&自意識過剰でした!ギラギラしていました・・・。
まわりの友達は大学生ばかり。
自分に全く自由がないことを実感しましたが・・・何故だかそこだけは産後ハイの方が勝ちました!
こんなに可愛い我が子を見れてラッキー!毎日ハッピー!
孤独だったマタニティライフからは打って変わって、赤ちゃんとの生活は楽しい毎日の連続でした。
ハタチで子供産んでいる子なんて周りにいるわけがないと思っていましたが、なんと中学高校の同級生が、同時期に結婚&出産していた事が分かりました。
当時はEメールが主流で、誰もが気分転換に気軽にメアド変更をしていた時代ながらも、運良くメールがつながりました。
(その後、彼女とは20年経った今でも大親友です!)
出産時期は半年ほどズレがありましたが、子供同士は同学年。
高校卒業以来で2年ほどのブランクはありましたが、とても嬉しい再会でした!
彼女もまた、同じ時期に同じ悩みを抱える同志でしたので、時には一緒に並んでタバコを吹かしました。
(のちに、私たちはそれぞれに第2子を授かったので、それを機に今では禁煙しています)
わたしたち、見た目的にも、中身的にも、かなりとんがっていたと思います・・・どこからどう見てもガラの悪いヤンママコンビでしたね。
当時の私たちにとって、慣れない育児の最中唯一の楽しみは長文メール交換でした。
中学からの同級生ですので、いわゆる「ママ友」ではなく、初めての育児序盤から、同じ境遇のリア友がいてくれたことは本当に有難かったですね!
母乳をあげながらガラケーを手放さず過ごしました。
片手に乳飲み子、片手にガラケーでメール打ちが授乳スタイルでした。
今となってはなつかしのEメールコミュニケーション。
わたしにとっては、大事な育児の友でした。
続きます。
めんつよまま
横浜生まれ。成人済み長男と肢体不自由児次男を持つ、メンタル強めアラフォーママ。シングルマザー、のちに再婚。
厚生労働省HPなくそう!望まない受動喫煙。より引用
(https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/overview/)
2020年4月、健康増進法の一部を改正する法律が全面施行されました。