「寄り添いすぎ」が子どもの未来を奪う?保護者に必要なのは学校に行かせる覚悟

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「慣れ」を奪ってはいけない

姪は「音がうるさい」「人が多い」と学校に行けない理由をいくつも挙げていました。しかし、私の娘と一緒にカラオケには行けるのです。楽しそうに歌っている姿を見て、私は確信しました。
問題は「音」そのものではなく、「学校の環境に慣れていないこと」にあるのだと。

子どもは、大人のように自ら経験を選んで「慣れていく」ことができません。だからこそ、親が慣れる機会を与えなければなりません。「無理なら休もう」ではなく、「慣れていけるように支える」ことが本当の寄り添いです。ただし、お子さん側だけの問題ではなく、いじめなどの外的要因やHSPなどで不登校を続けている可能性もあります。その場合の見極めも含めて、お子さんに寄り添ってあげることが大切だと考えます。

「寄り添い」とは、挑戦を支えること

この春、私の娘が卒業式のピアノ伴奏オーディションに挑戦しました。楽譜を見た瞬間、「これは1週間では無理かもしれない・・・」と泣きそうになっていました。

そこで「やめてもいいよ」と言えば、挑戦の芽はその場で摘まれてしまいます。ですが、我が家では「できるところまで頑張ろう」「家族みんなでサポートするから大丈夫」と励まし続けました。娘は毎日泣きながら練習を続け、全力でオーディションに臨みました。

結果は残念ながら選ばれませんでした。でも、最後までやり切った経験が、娘にとって何よりの自信になっています。
「やめてもいい」が寄り添いではない。
「乗り越えられるように支える」ことこそが、本当の寄り添いだと、私は信じています。

今の社会だからこそ、親の覚悟が必要

昭和の時代は、社会全体が厳しく、学校や地域が自然と子どもに規律や忍耐力を教えてくれる環境がありました。多少親が甘くても、周囲の大人たちがしっかりと補ってくれたのです。
しかし今は、社会も学校もとても優しくなり、子どもが困難に挑戦せずに済んでしまう場面が増えています。そうした環境の中では、子どもが“本来育てられるべき力”を獲得する機会が少なくなっていると感じます。

私の住む地方都市では、今でも子ども会や町内会が機能しており、地域全体で子どもを見守り、育てていこうという空気があります。近所のおばあちゃんが声をかけてくれたり、学校以外にも自然なつながりの中で子どもが育つ場面が日常にあります。

一方で、都心部では核家族化が進み、親がすべてを一人で抱え込まざるを得ない状況が増えています。孤立する親も多く、「誰にも相談できない」「家庭の中だけでなんとかしなければ」という重圧を感じている方も少なくありません。
だからこそ、今の時代には「親が導く覚悟」が必要です。

親が「正しい寄り添い方」や「適度な厳しさ」を持ち、ぶれない軸で子どもに向き合うこと。誰も代わりに教えてはくれないからこそ、親が子どもの人生における“最後の砦”であることを忘れてはいけないと、私は強く感じています。

最後に

姪の不登校は、「寄り添いすぎた結果」だと私は思います。そして、親が変われば、子どもも変わります。子どもは「嫌」「無理」と感じたことから逃げたがります。そこにどう向き合うかは、親の責任です。
今がそのタイミングです。逃げずに、子どもの未来をしっかりと導いていきましょう。
子どもを育てるとは、未来のために、今、厳しさを持って導くこと。

今回の話はひとつの例であり、お子さんの性格や環境などで対応は変わってきます。こんな考えもあるのだと心に留めていただければと思います。

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