ごきげんよう!mamanです。
あっという間に師走ですね。
師走は1年のいろいろなことを振り返りたくなりますが、私も、ママ広場さんでは振り返りの記事が多くなってしまうところに、「もう少しでママ年齢20歳」という長い年月を感じます。
・・・ということで、今月は何を振り返りましょうか(笑)。
いろいろ考えてみましたが、今月は、約20年になる私の「ママ友付き合い」について、振り返ってみたいと思います。
「楽しい」と「疲れる」は表裏一体
乳幼児期
私のママ友付き合いは、上の子が赤ちゃんの頃から始まりました。
同じアパートの月齢の近い赤ちゃん達と、ときどき一緒に遊ぶようになったのが始まりです。
子ども同士は同級生でも、ママ同士の年齢は10歳以上離れていたり、育った環境がまったく違ったりして、おそらく子どもを介さなければ話す機会もなかった方達だったと思いますが、初めての育児に奮闘する新米ママ同士として、悩みを打ち明け合ったり、小児科情報などを教え合ったりして、乳幼児期を乗り切る助けになりました。
実家からも遠く、親戚や知り合いもまったくいない転勤先で産んだので、まず何より「大人と話ができる」ということが、あの頃の私のいちばんの支えでした。
幼稚園時代
子ども達が幼稚園の頃は「ママランチ会」の最盛期で、うちの子達が通った幼稚園では、クラスごとに、ときどき「ママランチ会」が開かれていました。
息子が幼稚園に入りたての頃、下の娘はまだ0歳の赤ちゃんだったので、初めてランチ会のお誘いをいただいた時は、
「下の子がまだ赤ちゃんなので・・・。」
と、やんわりとお断りしようとしました。
でも、
「赤ちゃんはみんなで見るので、ぜひ・・・。」
と説得され、おもちゃや赤ちゃん煎餅などの「グズり対策グッズ」をたくさん持って、おそるおそる行ったのを覚えています。
当時は「公園デビュー」という言葉がありましたが、私は「公園デビュー」より「ランチ会デビュー」の方が緊張しました。
実際、娘が泣くとみなさんであやしてくれて、私にゆっくりランチを食べさせようとしてくださったのですが、娘の方が私でないとダメなことも多々あり、結局ランチの味はわからないまま、ぐったり疲れて帰宅(苦笑)。
ランチ会のおしゃべりは確かにストレス解消になり、いろんな情報も聞けて、その後お話しできるママさんも増えたのですが、同じくらい疲れも抱えるという感じで、正直なところ、乳飲み子を抱えた当時の私には、結構な負担でした。
任意の集まりとはいえ、ほとんど欠席者がいなかったことも、ときどき幹事が回ってくることも、プレッシャーでしたね。
仲の良いお友達と、親子でお互いの家を行き来する形のお付き合いもありましたが、子ども達の急な病気などでドタキャンになることもしばしばでしたし、招く側の時は、家の掃除や食べ物・飲み物の準備などに気を使い、招かれる側の時は手土産の準備に気を使いました。子ども達が何か汚したり壊したりするのも、お互い様とはいえ、いつもヒヤヒヤして・・・。
もちろん、楽しさもあるし、育児の孤独感から救われる面もありましたが、「疲れ」が「楽しさや救い」を上回ってしまうことも多々あり、ランチ会同様、これもあまり頻繁でなくていいと感じる自分がいましたね(笑)。
幼児期は、ママ友付き合いが最も盛んな時期でしたが、「救い」と「疲れ」が常にセットであることが悩ましかったです。
今思えば、疲れている時は、無理しなくても良かったんですよね。
小学校時代
小学校時代は、働くママさんが増えて、幼稚園時代ほどママ友付き合いは多くありませんでしたが、子ども同士のトラブルがあった時の対応や、PTAや地域行事の役員活動で難しさを感じることが増えました。
うちの子達は地元の公立小に通ったので、さまざまな家庭があり、子どもも親も実に多様な中で、地域との関わりも密でした。
家庭ごとの考え方の違いは、子ども同士のトラブル時や行事など、折に触れて露呈するので、足並みを揃えて活動しなければならない時や役員の年などは、本当に大変で・・・。
でも、今振り返ると、子ども達が多様性の中で磨かれたように、親も鍛えられた時期だったのかもしれません。
本当にいろんなことがありましたが、結果的に、この時期から今に至るまで良い関係が続いているママ友さんは、子育てに対する考え方が似ていて、距離感も、お互いにとってちょうど良い方だったのだと思います。
ここまでは、ママ友付き合いが増えていった時期になります。
【後編】では、ママ友付き合いが減っていった中学校・高校時代を振り返りたいと思います。
maman
地方在住のアラフォーママン。 夫と、ティ―ンエイジャーの息子・娘と暮らし、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。