こんにちは8です。
改まった手紙やメールなどで文書を書くとき、ちょっと悩む言葉使いのなかでも、特にややこしいと思われる「ら抜き言葉」。
そもそも「ら抜き言葉」とは何か?というところからですが、下記のような文章が「ら抜き言葉」といわれるものになります。
見れる →本来は「見られる」
食べれる →本来は「食べられる」
出れる →本来は「出られる」
来れる →本来は「来られる」
本来「ら」が入るべき言葉から「ら」が抜けている言葉、それが「ら抜き言葉」です。
分かりやすい言葉ならいいのですが、結構分かり辛いものも多く、あれ?どっち?となることが頻繁に起こります。
「ら抜き」か「ら抜きでない」かを調べる方法がないか探してみたところ、皆さん躓くところは同じなのか、沢山でてきました。
…ましたが、どれも結構難しい。五段活用まではともかく、下一段活用や上一段活用の可能形までくると、こんどはそれが何かを調べるところから始まるわけで…(貧弱な国語力で申し訳ないです)。
手っ取り早く調べられる方法はないのか?!!と更に検索したら、ありましたよ~。
「ら抜き言葉」の見分け方でかんたんなのが、「~よう」をつけられるか否か、でした。
上記の例で置き換えると
見れる →見よう
食べれる →食べよう
出れる →出よう
来れる →来よう
やってみると確かに!これは分かりやすいですね。「~よう」がつけられたら「ら」を抜いてはいけない言葉、「~よう」がつけられなかったら「ら抜き言葉」にはならない、となります。
「~よう」で迷ったら「~することができる」に言いかえるといいみたいですね。
見れる →見ることができる
食べれる →食べることができる
出れる →出ることができる
来れる →来ることができる
おお、素晴らしい!
これで迷うことが減りそうですよ。
ちなみに、何故「ら抜き言葉」が難しいのかというと、元々「れる」「られる」には、可能、受身、自発、尊敬の4つの意味があるのですね。これは平安時代から変わっていないようです。
上の例でいうと
受け身の表現 ○○から見られる
可能の表現 ~できる すぐにでも食べられる
自発の表現 このまま行けば出られる
尊敬の敬語表現 ○○さんが来られる
こんな感じです。うーん、分かり辛いですね~…。これを解消するためにら抜き言葉が使われるようになったとか。
ついでに何時ごろから使われていたのかを調べてみたところ、結構古くから使われ始め、戦後、話し言葉として急激に増えていったというのが一般的みたいです。
こいうのを調べていると、改めて言葉は生物だなあ、と思います。
という訳で、もし「ら抜き言葉」で迷ったら、「~よう」を使ってみてくださいね。