代理ミュンヒハウゼン症候群とは?複雑な心理や原因・背景を精神科医が解説

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代理ミュンヒハウゼン症候群は、保護者が子どもに病気を偽装・誘発する精神疾患の一種です。本記事では精神科医であり臨床心理士・公認心理師でもある出雲いいじまクリニック院長の飯島慶郎先生が、痛ましい症例の裏に潜む複雑な心理や背景を解説するとともに、気にかかるお子さんがいるときの相談先について紹介します。

時折、事件の報道や法廷のニュースなどで、耳慣れない言葉を見聞きすることがあります。「母親は、代理ミュンヒハウゼン症候群と診断されていました」。
長くて、どこか奇妙な響きの名前です。いったいどういう意味なのか、なぜそんな名前がついているのか、疑問や戸惑いを感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ニュースの中で、親につけられたこの病名だけが一人歩きすることがありますが、実際のところこの言葉は何を指し、その背景には何があるのでしょうか。
これまでにも子どもの病名をどう受け取るかという話を書いてきました。今回はその裏側ともいえるテーマで、名前がつけられているのは子どものほうではありません。

その名前は、ほら吹き男爵から来ている

この病気の名が医学の世界に登場したのは、1951年のことです。
イギリスの医学雑誌『ランセット』に、アッシャーという医師が、ある一群の患者について報告しました。自分の病気について事実と違う訴えを繰り返し、病院を渡り歩いては、必要のない検査や手術を受け続ける人たちです(1)。
アッシャーはこれに、18世紀に大げさなほら話で有名になったミュンヒハウゼン男爵の名を借りて、ミュンヒハウゼン症候群という名前をつけました(1)。
不思議なのは、そうすることで何の得もしていないという点です。ここが、いわゆる詐病と決定的に違うところです (2)。

●詐病と作為症(ミュンヒハウゼン症候群)のちがい
[詐病(≒仮病)]
症状:偽っている
目的:外からの利益がある(お金、仕事や学校を休むこと、診断書を手に入れることなど)

[作為症(ミュンヒハウゼン症候群)]
症状:偽っている、または本当に作り出している
目的:外からの利益がない(病人として扱われること自体が目的になっている)

金銭的な見返りもないのに、痛みを伴う検査や手術を自ら進んで受け、「重い病気の患者」として扱われることだけを求め続ける。現在の医学では、これは作為症と呼ばれるグループのなかの一つの型と位置づけられています(2)。
ここまでは、本人が自分自身に対して行っていることです。

1977年、「代理」という言葉が生まれた

それから26年後の1977年、イギリスの小児科医ロイ・メドウが、二人の子どもの症例を報告しました(3)。
論文の要旨には、こう書かれています。一部の患者は、繰り返し作り話をし、証拠を捏造して、自分自身に不必要な検査や手術を引き起こす。ここに記述するのは、偽りによって、自分の子どもたちに数えきれないほどの有害な医療行為を引き起こした親たちである。いわば「代理による」ミュンヒハウゼン症候群である(3)。
自分の体でしていたことを、子どもの体を使って行う。それが「代理」の意味です。
このとき、メドウが論文の副題に添えた言葉が印象的です。「子ども虐待の隠された深部」(原題:The hinterland of child abuse)(3)。医療の陰に隠れて外からは発見しにくい、虐待の最も捉えがたい領域という含みがあります。
提唱者自身が、最初からこれを単なる親の心の病にとどめず、子どもへの深刻な身体的虐待として捉え、告発していました(3)。

日本でも、実際に起きている

日本でこれがどれくらい起きているのかを示す統計は、いまのところありません。分かっているのは、これが子ども虐待のなかでもまれな型だということです(4)。厚生労働省の手引きも、医療者が疑いを持つまでに長期間を要することも少なくないと述べています (1)。見つかりにくいことが、そのまま数のつかめない理由になっています。
けれども、日本でも社会を震撼させた事件は実際に起きています。
2010年5月20日、京都地方裁判所での裁判員裁判です。母親が、2004年から2008年にかけて、大学病院などで三女・四女・五女の点滴に水道水などを混入させていました。三女と五女は敗血症などを発症し、四女は生後8か月で亡くなりました。罪名は傷害致死と傷害。求刑は懲役15年、判決は懲役10年でした。

この事件には、心に留めておくべき重要な事実が2つあります。
1つは、被害が4年間にわたり3人のきょうだいに及んでいたこと。一人の子どもの問題にとどまらず、家庭内のきょうだい全体に被害が波及していたという事実です。
そしてもう1つは、法廷でこの病名がどう扱われたか、という点です。
この母親は、起訴される前の精神鑑定で「代理ミュンヒハウゼン症候群」と診断されていました。そして弁護側は、この病気のために判断能力が低下していたとして、執行猶予のついた判決を求めました。
裁判所は、これを認めませんでした。増田耕児裁判長は判決理由で、「犯行態様は常軌を逸しており、娘の肉体的精神的苦痛は計り知れない」、そして「うち1人の命を奪っており、通常の傷害致死や傷害よりも悪質だ」と述べています。
病名は、免罪符ではありませんでした。
親にどのような診断名がつこうと、法廷が直視したのは、子どもに現実に加えられた危害の重さでした。

なぜ、そんなことが起こるのか

ここが、多くの方がいちばん知りたいところだと思います。
結論から申し上げると、明確な原因はいまだ解明されていません。
ただし、世界中で報告された数多くの事例から、行為に及んだ親たちにどのような共通点があったのかは分かってきています(4)(5)。
これから挙げる数字は、いずれも「発覚して報告された事例」を後から集めて調べたものであって、世の中の親を対象に調べたものではありません。研究者自身も、珍しい事例ほど論文になりやすいという偏りが入り込んだ可能性があると述べています (5)。そういう性質の数字だという前提でお読みください。
研究から浮かび上がってきたのは、主に3つの背景です。

心の中に深い傷や喪失を抱えていた

これまでに報告された796人分の記録をまとめた調査では、約3割に自分自身の子ども時代の被虐待体験がありました(5)。
母親67人の生い立ちを詳しく調べた研究では、自らの親と安定した関係を築けていた人は2割にも満たず、6割が幼いころの心の傷や大切な人を失った悲しみを癒やせないまま抱えていました (6)。これは、一般の人たちと比べても際立って高い割合です(6)。
28人の親を詳しく分析した報告では、傷つけられた体験から逃れるために嘘の物語を作り出し、やがてその物語の中に我が子まで巻き込んでしまう——そうした心の経過が指摘されています (4)。

本人にも「病気」を偽装した既往があった

もうひとつの特徴は、親自身にも、かつて自分の病気を偽ったり作り出したりしていた過去(ミュンヒハウゼン症候群の経験)が多く見られたことです(4)(5)。
自分が病気(患者)になることでしか周囲に関心を持ってもらえなかった——その体験が、やがて「子どもの病気」へと形を変えたのではないか。私はそう受け取っています。

病気との向き合い方が「世代」を越えて受け渡される

さらに、こうした病気との歪んだ向き合い方が、親から子へと世代を越えて伝わってしまう可能性も指摘されています(7)。
実際、被害を受けた子ども自身がやがて自分で病気を偽装するようになったり(8)、大人になってから医療そのものを極端に避けるようになったりする(9)例が報告されています。単に「特定の一人の問題」にとどまらず、家族の中で受け渡されてしまう連鎖としての側面があるのです。

共通点は「原因」ではない

ここで注意が必要なのは、これらの共通点が決して「疑わしい親を見分けるための基準」でも、「こうなった原因」でもないということです。つらい子ども時代を過ごした人が、必ずこうなるわけではありません。
1987年に117例の報告をまとめた医学総説は、「この種の異常な母性行動の起源は、依然として不可解である」と述べています(10)。当時の報告では、行為に及んだ人が全員母親だったため、そう書かれています(10)。
その後の研究も、この結論を大きくは動かしていません。2005年の研究は、この行動の起源はほとんど理解されていないと書いています(6)。どれほど詳細な調査を行っても、「どういう傾向があるか」までは分かっても、「なぜその人がそこに至ってしまったのか」という最後の謎は、いまも解き明かされていないのです。

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