
なぜ、それは医療の場で起こるのか
原因を親個人の心の中だけに求めても、全体像は見えてきません。もうひとつ、専門家たちが指摘してきた重要な側面があります。
厚生労働省の手引きは、心理的な仕組みをこう書いています。
子どもや医療システムを支配する満足を得ることと同時に、大変な子どもを育てている献身的な保護者像を作り上げながら、医療的なケアを受けることが目的であると考えられている (1)。
ここで見落としてはならないのは、「医療的なケアを受ける」の主語が、子どもではなく親自身であるという点です。
重い病気の子どもを懸命に看病する「献身的な母親」を演じることで、医師や看護師からねぎらわれ、関心を向けられ、温かいケアを受ける。つまり、子どもの身体を介して、親自身が医療スタッフからの愛情やつながりを求めているのです。
この見方を早くから示していたアメリカの児童精神科医シュライアーは、1992年に、この病態は「母親の、医師との関係への欲求」として最もよく説明できると論じました (11)。その根底には、親自身が幼いころに味わった深い「見捨てられ感」があるというのです (11)。
つまり、この親たちが真に向き合っている相手は、子どもではなく「医師や医療スタッフ」なのではないかという見方です。子どもは、その関係をつなぎ止めるための手段にされてしまっている——極めて痛ましく、複雑な構図がそこにあります。
虐待という文脈から見ると、何が見えるか
提唱者のメドウが「子ども虐待の隠された深部」と名づけたように、子どもの立場からこの問題を見つめ直すと、全く異なる過酷な現実が浮かび上がってきます(3)。
手口には幅がある
日本小児科学会がまとめた『子ども虐待診療の手引き第3版』では、親が子どもに対して行う行為として、次のような具体例が挙げられています(12)。
「熱や発作が起きた」と嘘の訴えを繰り返す、尿や便の検体に別のものを混ぜて検査結果を異常にする、必要な食事や薬を与えない、あるいは薬物などを投与して実際に症状を作り出す——手口は多岐にわたります。
そして手引きは、こう警告しています。「虚偽の情報だけ、症状の誇張だけであっても子どもにとって安全な環境とは言えない」(12)。
実際に親が直接手を下していなくても、医師に嘘を信じ込ませることで、子どもは不必要な投薬や痛みを伴う検査、過剰な治療を受けさせられることになるからです。1987年の117例の総説では、発覚した子ども全員に、何らかの健康被害(短期的な罹病率100%)が生じていました (10)。日本で報告された21例をまとめた調査でも、必要のない外科手術を受けさせられていた子どもが23.8%にのぼっています (1)。
一人の子どもの問題として終わらない
イギリスで、病気を作られたことが分かった子ども56人と、そのきょうだい103人のうち82人を調べた研究があります。きょうだいの39%も、同じように病気を作られていました。そして11%が、幼いうちに原因の分からないまま亡くなっていました(13)。
京都地裁の事件で三人のきょうだいが被害を受けたことは、決して例外的な出来事ではありません。
失われるのは、健康だけではない
イギリスの指針は、子どもに生じる深刻な実害として次のような点を挙げています(14)。
不必要な検査や処置を繰り返し受けること。受診を繰り返すせいで、かえって本当の病気が見逃されること。本当は歩けるのに車椅子を使わされること。長期の欠席を強いられ、友達の輪から孤立していくこと。そして——「自分は病弱で、傷つきやすい人間だ」という歪んだ自己像を植え付けられてしまうこと (14)。
思春期になると、「自分は病気なのだ」と思い込まされた子ども自身が、自ら進んで病気のふりをする側に回ってしまうことさえあるのです(14)。
大人になってから被害を打ち明けた10人への調査では、親が嘘をついていると気づいていた人もいました。しかし、誰かに助けを求めようとしても、その声が周囲の大人の耳に届くことはほとんどありませんでした(9)。
失われるのは、子どもの身体の健康だけではありません。学校に通い、友達と笑い合い、健やかに成長するはずだった、かけがえのない子ども時代そのものなのです。
対象は、子どもとは限らない
あまり知られていないことですが、日本小児科学会の『子ども虐待診療の手引き第3版』には、医師が注意すべき状況の一つとして「保護者、患児のきょうだい、ペットに類似の症状や既往歴がある」ことが挙げられています(12)。
イギリスの獣医療の調査でも、小動物の獣医が記録した「事故ではない傷害」448例のうち、9例が、同じ構図が疑われる例として報告されています(15)。飼い主が動物病院で注目や同情を集めようとすること。飼い主から引き離すと回復すること。そして動物病院を次々と変えること (15)。子どもの事例で知られている特徴と、そのまま重なります。
自ら助けを求めることもできない、家庭内で最も弱い立場にある存在——そこに向かって歪みが押し寄せてしまう病態なのだということが、ここからも鮮明に見えてきます。
おわりに。ニュースの向こうにあるもの
テレビやネットでこの名前を見かけると、私たちはどこか「遠い世界の奇妙な事件」や「理解できない親の犯行」として受け止めてしまいがちです。
けれども、ここまで見てきたように、その背景には、傷つけられた子ども時代や、解決されないままの喪失、病気との向き合い方の連鎖といった、人間の生々しい苦しみが横たわっています。
そして、この病態について私たちが最も心に留めておくべきなのは、「奇妙な病名」の向こう側で、実際に不必要な検査や治療を受け、健康や子ども時代を奪われている子どもがいるということです。
焦点を当てるべきなのは、親の不可解さではなく、子どもに生じている現実の被害です。
もし身近なお子さんのことで気にかかることがあっても、一人で抱え込んだり、自分だけで見極めようとしたりする必要はありません。児童相談所虐待対応ダイヤル「189」は、通話料が無料で、匿名でかけることができます。連絡した人が誰かということも、その内容も、秘密は守られます。
参考文献
(1)厚生労働省『子ども虐待対応の手引き(平成25年8月改正版)』第13章6「代理によるミュンヒハウゼン症候群(MSBP)への対応」
(2)Bass C, Halligan P. Factitious disorders and malingering: challenges for clinical assessment and management. Lancet. 2014;383(9926):1422-32.
(3)Meadow R. Munchausen syndrome by proxy. The hinterland of child abuse. Lancet. 1977;2(8033):343-5.
(4)Bass C, Jones D. Psychopathology of perpetrators of fabricated or induced illness in children: Case series. Br J Psychiatry. 2011;199(2):113-8.
(5)Yates G, Bass C. The perpetrators of medical child abuse (Munchausen Syndrome by Proxy) – A systematic review of 796 cases. Child Abuse Negl. 2017;72:45-53.
(6)Adshead G, Bluglass K. Attachment representations in mothers with abnormal illness behaviour by proxy. Br J Psychiatry. 2005;187:328-33.
(7)Bass C, Glaser D. Early recognition and management of fabricated or induced illness in children. Lancet. 2014;383(9926):1412-21.
(8)Libow JA. Beyond collusion: active illness falsification. Child Abuse Negl. 2002;26(5):525-36.
(9)Libow JA. Munchausen by proxy victims in adulthood: a first look. Child Abuse Negl. 1995;19(9):1131-42.
(10)Rosenberg DA. Web of deceit: a literature review of Munchausen syndrome by proxy. Child Abuse Negl. 1987;11(4):547-63.
(11)Schreier HA. The perversion of mothering: Munchausen syndrome by proxy. Bull Menninger Clin. 1992;56(4):421-37.
(12)日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会『子ども虐待診療の手引き 第3版』4-7「Medical Child Abuse(いわゆる代理によるミュンヒハウゼン症候群を含む)」2022年3月改訂
(13)Bools CN, Neale BA, Meadow SR. Co-morbidity associated with fabricated illness (Munchausen syndrome by proxy). Arch Dis Child. 1992;67(1):77-9.
(14)Royal College of Paediatrics and Child Health. Perplexing Presentations (PP) / Fabricated or Induced Illness (FII) in Children: RCPCH guidance. 2021.
(15)Munro HMC, Thrusfield MV. ‘Battered pets’: Munchausen syndrome by proxy (factitious illness by proxy). J Small Anim Pract. 2001;42(8):385-9.
※本記事の執筆にあたり、論文検索および構成の整理に生成AIを活用していますが、医療情報としての正確性は専門医が確認・監修しています。
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