前回の話
お兄ちゃんより二年遅れてこの世に誕生した娘は、赤ちゃんの頃から「納得しないと受け入れない」ところがありました。
地方公立塾なし娘の東大合格物語【2】納得しないと受け入れない頑固気質~幼少期~
靴下を履くのをなぜか頑なに拒否して、履いてくれるようになるまでに何か月もかかりました。歩けるようになったら、今度は靴を拒否。春から靴を履かせることを試みて、夏にやっと履いてくれるようになったものの、今度は、雨でも、冬になっても、夏のサンダルしか受け付けないので、困り果てた記憶があります。
靴は履きたくないのに、お兄ちゃんが外を駆け回ると、自分も同じようにしたい。だから外遊びのたびに、季節や天候に合った靴を履かせるのが大変でした。
幼稚園に入ると、「心から納得しないと受け入れられない」という気質が、より顕著になりました。お友達がみんなでワイワイ遊んでいても、自分からはその輪の中に入っていくことは、まずありませんでした。でも、無関心なわけではなくて、じっと見ているんですよね。今思えば、お友達が何をして遊んでいるのか、どんなルールなのか、自分にもできそうか、楽しめそうか・・・自分がその輪の中で遊べるか、「大丈夫だと思えるまで」じっと観察していたのだと思います。
でも、お迎えに行くたびに、先生から、
「今日も一生懸命、お友達を見てましたよ~。」
と言われ、
「今日も見てただけですか・・・。」
と、心配になったことを覚えています。
まぁ、でも、お兄ちゃんも、太陽の光がサンサンと降り注ぐ園庭で歓声をあげて遊ぶようなことはあまりなく、どちらかというと、園庭の隅っこの日陰で太陽に背を向けてうずくまり、泥だんごや虫獲りに熱中しているような子だったので、我が家の子ども達はそんな感じなんだなと思い、娘の「じっと見ている」園生活も、そのままにしておきました。
そのうち、幼稚園は安全だとか楽しいとか、娘なりに納得できたのでしょう。いつのまにか、幼稚園でも、くつろいだふるまいをする娘になっていました。
ある日、娘のいるお部屋(年少さんクラス)にお迎えに行くと、娘がいないので、先生に尋ねると、
「あ、娘ちゃんは、今日は朝からお兄ちゃんのお部屋に行ってます~。」
と言われ、驚いて年長さんのクラスに行ってみると、お姉さん達にお世話されながら、当然のようにそこにいる娘の姿が。
兄を頼るわけでもなく、お姉さん達に普通に遊んでもらっていました(笑)。
(兄は兄で、妹は放っておいて自分はお友達と恐竜ごっこ夢中でした。)
そんな兄妹の姿を、年長さんクラスの先生と一緒に見ながら笑ってしまったのですが、
「じっと見てるだけ」から「兄のクラスで兄とは別々に一日を過ごす」という娘の振り幅が大きすぎて、
思わず、
「飛躍しすぎじゃない!?」
と娘に言ってしまうほど、大胆なくつろぎようでした。
あの頃、娘を受け入れてくれていた年長さんクラスの先生やお兄さんお姉さん達と、娘が年長クラスへ度々出張することもおおらかに見守ってくださっていた年少クラスの担任の先生には、感謝しかありません。
その幼稚園は緩いミッション系の園で、讃美歌をおしえてくださいました。いくつか覚えた讃美歌の中で、娘がとても気に入ったものがありまして、家でもよく歌っていたのですが、なぜかトイレに入ると熱唱モードに入ってしまうという時期もありました。
トイレトレーニング中でトイレに置いてあった子ども用便座にまたがったまま、大きな声で、きっちり二番まで歌い上げるのです。
「あの~、熱唱中のところ申し訳ないのですが、お兄ちゃんがトイレだそうです~。まだでしょうか~?」
「あの~、今日は一番だけにしていただけると、大変助かります~。」
トイレの外から、何度呼びかけたかわかりません。
でも、そんなことはまったく意に介さない娘。
「自分が納得するまで、きっちりと歌い上げる。」
そうして初めて、すがすがしい表情でトイレから出てくる娘なのでした。
早生まれということもあってか、何をするにもゆっくりマイペースで、「自分が心から納得しないと受け入れない」という娘でしたが、いったん受け入れると、結構大胆にそれを楽しむという面もありました。
この気質は、小学校の低学年頃まで、強く前面に出ていたと思います。
続きます。
※ストーリーは実話を元にした創作マンガです。
[脚本]Maman [作画]dechi [編集・監修]ママ広場編集部
Maman
夫と大学生の息子・娘の4人家族。
学習教材制作業の傍ら、子どもの学習習慣の作り方や学習計画の立て方を伝えながら、スケジューリング(時間管理)とジャーナリング(書くこと)で幸せな親子を増やす発信を続けている。