【11】高3娘「東大を受験すると覚悟を決めてから受験まで」地方公立塾なし娘の東大合格物語|ママ広場オリジナルマンガ

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地方公立塾なし娘の東大合格物語【11】高3娘「東大を受験すると覚悟を決めてから受験まで」


高校2年生の冬に英語部を引退し、周りの目の色も変わってきて、本格的な受験モードに突入した高校3年生。

学校からは東大受験を勧められているものの、なかなか覚悟が決まらなかった娘でした。

東大の冠模試でA判定を取り、名前が冊子に掲載されたことで、「東大を第一志望にする」と、やっと覚悟が決まりました。

学校の方針は、「とにかく12月までは2次対策で、共通テスト対策は1ヵ月前から」というものでしたが、東大は共通テストで点数が取れないと足切りされてしまうので、2次対策を無駄にしないためにも、共通テストの対策も後回しにはしませんでした(共通テスト利用で1校でも私立に受かっていると、国立に挑むにあたって気持ちがラクになるということも理由の1つでした)。
と言っても、娘が受験した年は、センター試験が共通テストに変わってから2年しか経っていない時期だったので過去問も2年分しかなく、共通テスト対策は過去問より模試の復習がメインだったと思います。共通テストは9割の得点率を目指していました。

2次対策としては、夏休み頃から少しずつ赤本を始めましたが、全科目25年分とか27年分やるのは時間的に無理だったので、「過去問は、少ない年数分しかできなくても、解けなかった問題や間違えた問題をそのままにしない」という感じで進めていたと思います。
娘は数学が苦手だったので、数学は無理に2完できなくても良しとし、1完でもほかの問題は部分点を取れるだけ取って目標点を目指し、他の科目でカバーするという方針でした。

3年生になると周りも受験モードなので、休み時間も勉強する子が多く、娘も早弁をして昼休みの勉強時間を確保していたようです。
(基本的にスローな娘が早弁をしている姿が想像できず、一度見てみたかったなと、いまだに思ってしまいます 笑)
とにかく、起きている時間は、可能な限り勉強していた受験期でした。

「そんなに勉強ばかりしてて大丈夫?」という声も聞こえてきたりしたのですが、

コロナ禍で何もかもが不完全燃焼だった高校時代でしたし、一生のうちであんなに勉強だけに打ち込むことも、そうないと思うので、私は、高校時代の娘に、打ち込めるものがあってよかったと思っています(スポーツでも芸術でも、何か打ち込むものがある若い子は好ましいと見られることが多いのに、勉強に打ち込む子は何かと揶揄されるのは何故なのでしょうね?)。
体調にはものすごく気を使いました。
家族も含めて人混みにはなるべく出ない生活が続きました。冬の厳しい地域なので、冬場は、うっかり転んで右手を怪我したりしないようにも気をつけていました。
共通テストの1週間前には、大学生の息子の「成人の集い」がありました。息子も帰省してたくさんの同級生たちに会うと言うので、成人式のあとは娘に会わないように、サッと着換えだけしてそのままアパートへ帰ってもらいました。息子自身も、成人の集いは1度しかないので会いたい友達には会っておきたいという大事な機会でしたが、「万が一、自分が何か感染症を持ち込んで共通テスト前の妹にうつしてしまったら責任が取れない」という心境だったようで、集まりの後は妹に会わずに帰るということを、自分から提案してくれました。





娘の学校は、共通テストは(推薦や私立が決まっている子も)3年生全員が受けるので、共通テスト本番の前日まできっちり学校があり、受験の体調管理のために学校を欠席するという文化はありませんでした。なので、共通テスト前がいちばんピリピリしていたと思います。「いっそ学校を休みにしてくれたら、電車にも乗らなくていいし、感染リスクも下がるのに・・・」という想いで、毎日、気が休まることがありませんでした。
ママ友さんとも、お互いのピリピリした状況が想像がつくため、敢えて連絡は取りませんでした。近所のスーパーに行く時も、知り合いに会って娘の受験校を聞かれたりするのが嫌なので、空いている時間に行くようにしていました。完全に「鎖国」状態でしたね(苦笑)。この頃は、娘より私の方がナーバスだったかもしれません。
そんなふうにピリピリしながらも、共通テストがなんとか無事終わり、共通テストリサーチもAまたはB判定だったので、志望校は変えずに、そのまま東大2次にむけて勉強することになりました。

息子の受験の時は、ちょうど2月や3月に地震で新幹線が止まって大変だったので、娘の時も、大雪や地震で新幹線が止まることをものすごく心配していたのですが、幸いにもこの年の受験期は交通に影響が出るようなことはなく、無事に試験日前日に東京入りすることができました。
コロナ禍だったので、念のため食事はすべて買ってきてホテルの部屋で食べるようにし、私が食料調達係でした(笑)。
受験当日には、受験生が試験を受けている間に、別会場で地方生の保護者向けの住まい探し相談会が行われていました。私はそれに出席する予定で娘と一緒に上京していたので、食料調達をサポートしてあげることができました。受験のための上京中、私は、住まい探し相談会に出席するほかは、もっぱら食事の調達に奔走していた記憶があります。
試験前日は、ホテルにチェックインしたあと、部屋で軽く昼食を取り、試験会場の下見に行きました。

続きます

※ストーリーは実話を元にした創作マンガです。
[脚本]Maman [作画]dechi [編集・監修]ママ広場編集部

Maman
夫と大学生の息子・娘の4人家族。
学習教材制作業の傍ら、子どもの学習習慣の作り方や学習計画の立て方を伝えながら、スケジューリング(時間管理)とジャーナリング(書くこと)で幸せな親子を増やす発信を続けている。

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