前回から、親が子どもに対して抱く「心配」について考えています。
前回は、私が子どもの立場で両親から心配された時の気持ち、また、祖父母の孫に対する心配について書きました。
前編のお話はコチラ⇒【前編】子どもに不安を植え付けていませんか? ~心配と呪縛は紙一重~
今回は、その続きになります。
ヘラヘラするのも親の役割
私は、自分のことを「心配性な母」だと思っています。
でも、自分自身が「親に心配されると余計に不安になる」という経験を何度もしてきたので、私の子ども達に対する心配は、できるだけ本人には見せないように努力してきました。
うちの息子が先天性の疾患で手術入院をすることになったのは、中学3年の夏休み。
高校入試を控えた「受験の天王山」という時期でした。
全身麻酔での手術も心配なら、受験勉強の遅れも心配。
でも、本人はもっと不安なはずです。
だから私は、息子の前では、
「手術? 大丈夫だって~。寝てるうちに終わるんだってよ。」
「受験? あなたのことは、本番に強いように産んであるから大丈夫。」
などと、思いつく言葉からどこかで聞きかじった言葉まで総動員して、常にヘラヘラするように頑張りました(笑)。
(もちろん、1人になると何もかもが心配で不安でたまらず、どんよりしていたんですけどね・・・)
そして、お見舞いに来たの私の父には、小学校の運動会でのことを踏まえて、
「心配してくれてるのはよくわかってるし、ありがたいと思っているけど、◯◯(息子)の前では心配だって言わないでやってくれる? 余計不安になるだろうから・・・。」
と、努めてやんわりとお願いしました。
この時は、お互い、母・祖父として少しは成長していたようで、揉めずに意見が一致しました(笑)。
「心配するのが親の仕事」と言う言葉は、間違いではないと思いますが、それを本人の前でダダ漏れさせていいかは、また別の問題だと思っています。
むしろ、「心配でたまらなくても(それは表に出さずに)敢えてヘラヘラしているのも親の仕事」であると、私は思います。
それぞれの「心配ストーリー」
オリンピックが開催されてから、いろんな選手達の、ここに至るまでのバックボーンが紹介されていますよね。
努力、挫折、監督やコーチ、仲間、そして、親の想い。
メダルに届いても届かなくても、それぞれが素晴らしい選手達です。
そして、その素晴らしい選手達一人ひとりには、親がいて祖父母がいて、それぞれの「心配ストーリー」があるんですよね。
心配を自分の胸の内だけに留めて明るく励ましたり、何も言わずに黙って見守り続けたりすることは、想像以上に大変なことだと思うのですが、選手の数だけ「心配ストーリー」を胸に留めてきた親御さん・祖父母さんがいらっしゃるのだと思うと、涙が出てきます。
子どもが小さい時は「寝ない」「食べない」などを心配し、大きくなれば、勉強や受験、友達との関係などが心配の種となります。
親の子どもに対する心配は、その質を変えていくだけで、いつまで経っても無くなりはしないんですよね。
それについては、若干の絶望を覚えますが(苦笑)。
でもきっと、心配は自分の胸に留めて明るく振る舞い、「心配だ」という呪いの言葉で子どもを縛らない・不安にさせないということは、親になった者に課せられた、一生をかけてする修行なのかもしれない、とも思います。
私の今の目標は、心配を表に出さずに、子ども達2人の大学受験を終えることです。
さぁ、今日も頑張ってヘラヘラします(笑)!
maman
地方在住のアラフォーママン。 夫と、ティ―ンエイジャーの息子・娘と暮らし、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。