【前編】「あなたが心配」と伝えすぎて子どもに不安を植え付けていませんか? ~心配と呪縛は紙一重~

ごきげんよう!mamanです。

子育てをしていると、よく「親は心配するのが仕事」などと言われますが、このご時世、親の子どもに対する心配の種は、おそらく昔よりも増えたのではないかと思います。

今回は、「親の子どもに対する心配」について、考えてみたいと思います。



心配は口に出すと呪縛になる


私は、自分のことを心配性だと思っています。
それは、私の両親から受け継いだ気質でもあります。

私は、ことあるごとに、両親から心配されて育ってきました。
両親の心配は、すなわち愛情であり、心配してもらえるということは、ありがたいことです。

でも、両親の、特に父の心配性については、困っていたこともあります。
それは

「心配だ。」
「心配してる。」
「心配してたんだよ。」

と、口に出すことです。

子どもの私にしてれば、何かしようとするたびに心配だ心配だと言われると、自分でも不安がつのってきてしまうんですよね。

そして実際に、不安な気持ちを抱きながら臨むので、楽しめなかったり、パフォーマンスが落ちたりしました。

「親の一言は、子どもに呪縛となってまとわりつく」ということ・・・自分の体験から、実感としてよくわかります。

心配してくれる気持ちはありがたいけれど、心配される側からすると、できればその気持ちは自分の胸に留めておいてもらいたい。
そして、言葉をかけるなら、

「きっと大丈夫。」
「あなたならできるよ。」
「楽しんでね。」

と言って欲しいのです。

「私はあなたを心配している。」

と口に出すのは、心配している側はそれで気が済むけれど、言われた側にとっては、呪いの言葉を言われたも同然なのです。

口に出すなら前向きな言葉を


かつて、私の両親が、私の子ども達(両親から見ると孫)の小学校の運動会を観にきた時のことです。

うちの子達は子どもの頃、ちょっとした風邪でも入院してしまうほどに体が弱かったので、大きな行事の前は体調管理にとても気を遣って、私はピリピリしていました。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、うちの両親は、「心配爆弾」を投下しまくりました。

当時の息子は、アレルギー性鼻炎の影響で、朝起きてしばらくの間、クシャミを連発することがありました。

運動会当日の朝に息子のクシャミを聞いた私の父は、

「大丈夫? 風邪なんじゃない? 熱はない?」

と、軽ーい感じで言いました。




その言葉を聞いた時、私の中の張り詰めていた糸がプツンと切れて、

「今日は本番なんだから、アレルギーのクシャミだといいな、熱が出なきゃいいなと思ってるときに、なんでそういう不安になることを言うの? 無神経だわ!」

と言ってしまいました。

そしたら、「心配の表明こそが愛情表現」である父は、責められたことが面白くなかったらしく、へそを曲げてしまい・・・。

幸い、息子のクシャミはアレルギー性だったようで、その後はクシャミも発熱もなく、元気に運動会を終えたのですが、楽しく観戦するはずだった母(私)と祖父(私の父)が口もきかないという、なんとも後味の悪い運動会観戦になってしまったのでした。

次回にもう少し続けますね。

maman
地方在住のアラフォーママン。 夫と、ティ―ンエイジャーの息子・娘と暮らし、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。

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