私がまだ社会人になったばかりのころ。
幼馴染のTが交通事故にあったとの連絡がありました。
ちょうど今ぐらいの、夏の暑さが落ち着き、風が涼しくなったころのことです。
幼馴染のTとは、両親同士が仲が良かったので、生まれた時からの付き合い。
私と妹(2つ下)、幼馴染U子(私と同じ年齢)とその弟T(3つ下)は、物心ついたころからよく遊んでいました。
隣の市に住んでいて、お互い祖父母の家が離れていたため、GWや夏休み、お正月は良く一緒に過ごしていて。
ずっと親戚のように付き合っていました。
みんなが高校や大学生になると、それぞれに忙しくなり。
集まるのは年に1度あるかないかになっていきましたが。
それでも、私の姉妹のようなU子(同じ年ですが…多分私が姉)と、弟のようなTとの関係は変わらなかったと思います。
夜、電話を受けて、すでに泣き出してしまった母と、不安げに私と母を順番に見ている妹。
その光景は今でも覚えています。
父の帰宅後、病院に駆けつけると。
そこには、お正月以来久しぶりに会うU子とその父母がいました。
その年のお正月は、Tの成人式の前祝として、2年ぶりに全員が集まったのです。
Tは、たくさんのチューブやコードにつながれて、ベッドに寝ていました。
おでこに少し擦り傷はあったものの、大きなケガはなさそう。
彼の長いまつ毛が作る影が、呼吸に合わせて上下する様子を見ると。
ただ、すやすやと眠っているようにしか見えませんでした。
私と妹とU子がベッドのそばにいる間。
両親たちは病室の外でTの容体について話をしているようでした。
大したケガも見えず、今にも起きてきそうなT。
すぐ目覚めるのでは、と思っていましたが。
突如、廊下からは、Tのお母さんの泣き崩れる声と、私の母のすすり泣く声が響き。
言い表せないほどの不安が、私たちにもよぎりました。
そっと廊下に出ると。
私の父母に今日は遅いから帰る旨を言われ、私と妹は父母に連れられ病院を後にしました。
帰りの車の中で聞かされたことは。
Tは、大きな外傷はないが、脳幹に大きなダメージを受けていること。
そして、脳幹にダメージを受けると、目覚めることはないということ。
内蔵にもダメージが少ないため、今は眠っているように見えるが、いつ亡くなってもおかしくない状況。
長くても3,4日程度でそれも止まってしまうということでした。
私は、今会ってきたばかりのTが、いなくなるという現実が信じられず。
呆然と、窓の外を流れる街灯を眺めることしかできません。
頭の中では、お正月にTと会話した内容がぐるぐる巡っていました。
成人式に、父母の頼みで袴を着ることになったこと(←ちょっと恥ずかしがってた)。
彼女ができたこと(成人式後にデートするらしい)。
私が高校の時にやっていたスポーツをはじめたこと(偶然一緒だった。今度試合を見に行く約束をした)。
本当に、もう、彼の声を聴くことはないのでしょうか。
次に私が病院に行けたのは、3日後。
Tのベッドの周りには、友人が持ってきたという本やフィギュア、そしてTへのメッセージを吹き込んだMD。
Tは、そのメッセージや自分が好きだった曲をヘッドホンで聞かせてもらっていました。
3日前に合ったおでこの傷は、だいぶ治っていて、うっすらとヒゲも伸びています。
Tの体はまだ、生きている。
ケガも治るし、ひげも伸びるし、何より体も温かい。
……でも、決して目覚めることはない。
Tのお母さんは、彼の体を拭き、話しかけ、頬を撫でて、出来る限りのお世話をしています。
Tは見た目もキレイなままで、事故にあったとはいえ、即死の場合と違い、お別れするまでの時間は少しありますが。
この状況も、ある意味すごく残酷だと思いました。
「さっき、話しかけた時に、まぶたが震えたの」
「好きな曲を聞いたら、指が動いてリズムをとってるみたいだった」
どんどん伸びてきちゃうから、昨日は爪も切ってあげたの」
そううれしそうに話す、やつれたTのお母さんを見ることは、私にとってT自身の姿を見ることよりツラく感じました。
Tは体が若く健康であったせいか、先生から聞いた日数を超え、事故から8日後に亡くなりました。
Tの体が焼き場で炉に入る瞬間。
「Tを連れて行かないで!」
と、泣き叫んだTのお母さんの声は、今でも耳に焼き付いています。
あの時の私は、幼馴染のTが突然いなくなること……当時はまだ私の祖父母も健在だったため、初めて接した身近な死に、ただただ慄いていました。
それと同時に、彼にもう会えない現実が、ただ悲しかったです。
あれから時が流れ。
私は結婚し、2児の母になりました。
Tのお母さんも、うちの子どもたちをとてもかわいがってくれています。
時間薬とはよく言ったもので、3回忌ぐらいまではこのまま空気中に霧散してしまうのではないかと思うように見えたTのお母さんも、少しずつ笑えるようになりました。
最近、U子にも可愛い子どもが生まれ、孫の世話を楽しんでいるようです。
でも。
Tのお母さんの表情から、翳りが完全に消え去ることは、今でもありません。
どんなに笑っていても、どこかさみしそうで……。
多分、彼女の傷が癒えることは一生ないのだと思います。
もしかしたら、Tを忘れないためにも、傷が癒えること自体を望んでないのかもしれません。
今なら私にも、少しわかります。
自分の子供を失うことが、どれだけつらいかということ。
たまにはケンカもするけど、大切な主人。
怒ってばっかりになっちゃうけど、素直な長男。
めんどくさがりでだらしないけど、やさしい長女。
自分の人生からこの3人が失われることは。
自分が死ぬことと、比較にならないほど怖い。
大切なものを得るということは。
同時に失う怖さまでついてきてしまうものなんだなと、この年になって改めて感じました。
世の中、何があるかわからないので、どんなことがあっても後悔しないように、大切にしなければいけませんね。
先日の17回忌は、コロナの影響もあってお花を贈っただけとなってしまいましたが。
もう少し落ち着いたら、お墓参りに行こうと思います。
今更ですが、大人になった彼と話したかったことがたくさん浮かんできてしまいます。
……アラフォーになった私(しかも当時より体重が10kg増)の姿を見て、Tがちゃんと私だって気づいてくれるか、ちょっと心配?!