子どもへの愛情が不足していると悩む前に。愛着障害について精神科医飯島先生にお伺いしました

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愛着障害の診断を見ると、うちの子も可能性があるかも?幼少期の愛情不足が原因というけれど、何が駄目だったんだろう?そう思う前に、「愛着障害」とはどういうものかを一度確認してみましょう。今回は大人の漢方・心療内科 出雲いいじまクリニック院長飯島慶郎先生からお話をお伺いしました。

「うちの子、もしかして愛着障害かもしれない」

そう思ってこの記事を開いた方も多いのではないでしょうか。インターネットで「愛着障害、特徴」と検索すれば、無数のチェックリストが出てきます。人に過度に甘える、逆に人を寄せつけない、感情が不安定、自己肯定感が低い、そして決まって、こう書かれています。「原因は幼少期の親の愛情不足です」と。
精神科医として、私はこの言葉の広まり方に強い危機感を抱いています。医学が定義する「愛着障害」と、世間で語られる「愛着障害」は、まったくの別物だからです。そしてその誤解が、たくさんの親御さんを不必要に苦しめています。ネットの記事を読んで「やはり私のせいだったのだ」と確信し、本来必要だったはずの支援にたどり着けないまま何年も過ごしてしまう方も少なくありません。
今日はこの一見わかりにくい概念を、できるだけ正確に、そして誤解を解くかたちでお話しします。少し専門的な話も出てきますが、読み終えたとき、きっと肩の力が少し抜けているはずです。

まず知ってほしい。医学の「愛着障害」はとても稀な病気です

愛着(アタッチメント)とは、乳幼児が特定の養育者との間に結ぶ、情緒的なきずなのことです。お腹が空いた、こわい、寂しい、そんなとき子どもは泣き、養育者がそれに応える。この「求めれば応えてもらえる」という体験の繰り返しが、子どもの心に「自分は守られている」という安心の土台を築きます。イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが二十世紀半ばに提唱した愛着理論は、その後の膨大な研究に裏づけられ、現代の発達心理学の根幹をなしています。
ここまでは、多くの方がなんとなくご存じの内容でしょう。問題はこの先です。

医学でいう「愛着障害」とは、いったい何なのか。

国際的な精神疾患の診断基準であるDSM-5では、愛着の問題は二つの疾患として定義されています。「反応性アタッチメント症(反応性愛着障害)」と「脱抑制型対人交流症」です。一見正反対に見える二つですが、どちらも愛着形成の重大な失敗から生じるとされています。
前者の反応性アタッチメント症は、養育者にすら慰めを求めず、情緒的に引きこもってしまうタイプです。たいていの子は、転んで痛い思いをすれば親のもとへ駆け寄り、抱きしめてもらおうとします。ところがこのタイプの子どもは、痛いときやこわいとき、本来なら親にすがるはずの場面でも、ほとんど甘えようとしないのです。求めても応えてもらえなかった経験が積み重なり、「求めること」そのものをあきらめてしまったかのように見えます。

後者の脱抑制型対人交流症は、逆に見知らぬ大人にもためらいなく近づいていくタイプです。初対面の人にもべったりと甘え、ついていこうとし、本来なら見せるはずの人見知りや警戒がほとんどありません。一見すると人なつこい子に映りますが、特定の養育者との安定したきずなが築けなかったために、誰に対しても無差別に接近してしまう状態だと考えられています。

ここで決定的に重要なのが、その診断要件です。この二つの診断には「社会的ネグレクト(乳幼児期の適切な養育の極端な欠如)」が必須要件になっています。安楽や愛情を求めても養育者から持続的に満たされなかった経験、あるいは里親が頻繁に替わるなど、安定したきずなを結ぶ機会そのものが極端に奪われた経験、これがなければ、医学的には診断されません。しかも、おおむね二歳以降に初めて不適切な養育を受けたケースは、この診断には含まれないとされています。それほど、人生のごく早い時期の、極端な養育環境を前提とした概念です。
そして、医学的な愛着障害はきわめて稀です。診断の典型例としてしばしば引き合いに出されるのは、かつての独裁政権下のルーマニアで、栄養も世話も極端に不足した孤児院に大量に収容された子どもたちの研究でした。職員がごく少数しかおらず、抱っこも語りかけもほとんどないまま育った子どもたち、それほど苛烈な養育の剥奪があってもなお、愛着障害を発症するのは一部にとどまります。臨床の現場でも、めったに診断されることのない疾患です。

ここまで読んで、お気づきでしょうか。ネット上の「愛着障害」の説明が、いかに本来の定義からかけ離れているかを。
「親の愛情不足が原因」という言葉の罪
世間で「愛着障害」として語られるものの多くは、実は医学的な診断名ではありません。人との距離感がうまくつかめない、見捨てられ不安が強い、親密になると関係を壊してしまう。こうした対人関係のパターンを、俗っぽく「愛着障害」「愛着スタイルの問題」と呼んでいるにすぎません。
対人傾向そのものを語ること自体が悪いとは言いません。人がどう他者と関わるかには、確かに育ちの中で形づくられた個人差があります。問題は、そこに「親の愛情不足が原因」という一文が、ほとんど必ずついて回ることです。
考えてみてください。普通に子どもを愛し、ごはんを作り、抱きしめ、夜泣きに付き合い、熱が出れば一晩中看病してきた親御さんが、わが子の対人関係の悩みや感情の起伏を見て、「これは愛着障害だ、私の愛情が足りなかったせいだ」と自分を責める。これがどれほど理不尽で、有害な思い込みでしょうか。
医学的な愛着障害の必須要件である「社会的ネグレクト」は、普通の家庭の子育てとは隔絶した、極端な養育の剥奪を指します。日々悩みながらも子どもに向き合ってきた、その時点で、お子さんは医学的な意味での愛着障害には、まず当てはまりません。「もっとこうしてあげればよかった」と悔やめること自体が、わが子に関心を向け続けてきた証です。医学的な愛着障害の背景にあるのは、そうした関心そのものの極端な欠如なのですから。
私の外来にも、「自分の育て方のせいで子どもがこうなった」と涙ながらに話される親御さんが少なくありません。その多くは、共働きで十分に時間が取れなかったこと、つい感情的に叱ってしまった日々、上の子に手がかかって下の子を構えなかった時期、ごく普通の子育ての中にある引っかかりを、ネットの情報と結びつけて自分を責めておられます。けれどもていねいに話を聞き、お子さんを実際に診ていくと、その子の困りごとの背景にあったのは、愛情の不足ではなく、まったく別の要因であることがほとんどです。

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