「早生まれは損」?それよりも大切なことがある。早生まれの娘が東大に合格して思うこと

ごきげんよう!Mamanです。

この間、知人から、「早生まれは損だ」という話を聞きました。

おそらく、「早生まれの子は、四月生まれの子と比べると、同じ学年でも一年近い差があるので、体格や発達の面で不利である」というような意味で言われているのだと思います。

この説は、私も子育てをする過程で、時々耳にしてはいました。

でも、自分も娘も早生まれな私にとって、「早生まれは損」と言われることには、ちょっと複雑な思いがあるんですよね。

今日は、このことについて、私の思うところを述べてみたいと思います。

早生まれの私が母に泣かれたエピソード

私が小学校年生のとき、風邪をひいて、何日か学校を休んだことがありました。

風邪が治って登校すると、担任の先生が、放課後に、私が休んでいた間に習った勉強を教えてくださいました。

私は、家へ帰って、何の気なしに、母に報告しました。

「私ねぇ、今日は先生と放課後にも勉強したんだよ~。」

私の記憶はここまでです。

でも、この話には後日談がありました。

私の報告を聞いた母が、私にわからないようにこっそり泣いていた、というのです。

私がその後日談を聞いたのは大人になってからでしたが、どうやらそのときの母は、私が早生まれなばっかりに、先生から放課後に残されるほど勉強が遅れているのだと早合点してしまったようなんですよね。

それで、私を不憫に思い、人知れず泣いたと・・・(苦笑)。

もっともこの母の懸念は、通知表を渡される際の先生との面談で、

「あれは単なる休んだ分の補習であって、Mamanちゃんの勉強が遅れているわけではないですよ。」

と説明されて笑い話となったのですが・・・。

早生まれの娘の子育てを通して感じたこと

そんな思い出がある中で、私は早生まれの娘の子育てをすることになりました。

娘を見ていて感じたことは、確かに小学校低学年くらいまでは、四月や五月生まれの子に比べると、少し体が小さかったかもしれません。

でも、小学校中学年以降は、早生まれが理由で同級生に劣っていると感じたことは、何もありませんでした。

むしろ、春生まれの体の大きな男の子達にも臆することなく、パンチの効いた言葉で応戦したりしていて、別な意味でヒヤヒヤしたものです(苦笑)。

苦手なこともたくさんある娘でしたが、それは早生まれのせいではなく、持って生まれた得手不得手であるとだんだんわかってきましたし、反対に、同級生より秀でていると思われることもまた、生まれ月はまったく関係ないことなのでした。

娘を見ていて、小さい頃の体格や発達の差などというものは、あっという間に関係なくなるもので、損と言うほどのことではないと、実感として感じてきました。



早生まれそのものよりも懸念されるのは負の暗示

私が自分と娘の早生まれエピソードから思うのは、

「早生まれそのものは、何も心配しなくていいのでは?」

ということと、

「子どもにとって、早生まれは損だと聞かされて育つことの方が良くないのでは?」

ということです。

子どもの周りの大人が、早生まれという「いずれ解消される、期間限定の小さな差」にフォーカスして、「あなたはかわいそう」「あなたは不憫」だと負の暗示をかけてしまうことのほうが、ずっと悪影響だと思います。

子どもから自信を奪い、可能性の芽を摘んでしまうことになりかねません。

私自身、小学生のときの母に泣かれたエピソードが、

「母は私のことを、周りより劣っていると思っていたのか・・・。」

と、ちょっと悲しくなった記憶として残ってしまっているんですよね。

だから、早生まれの子には、要らぬ劣等感を持たせずに、のびのびと育てることが大事ではないかと思っています。

「早生まれは、同級生のみんなより若くていいよね~!」

などと、前向きにとらえさせてあげることのほうが大事ではないでしょうか。

私は今、この歳になって、早生まれの「少しの若さ」のありがたさを、しみじみと感じています。

「早生まれ」・・・少なくとも、私はお気に入りです(笑)。

Maman
地方在住のアラフォーママン。
夫・大学生の息子と娘の4人家族で、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。

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