どんな結果も糧になる「1」-子ども達がオーディションで得たもの-長男編

ごきげんよう!mamanです。

突然ですが、皆さんは、ご自身やお子さんが「オーディション」を受けたことはありますか?

TV番組などでも、オーディションの企画は人気がありますよね。

私も、挑戦者が泣いたり笑ったりしながら成長していくさまに、感動しながら見入ってしまいます。

でも、自分の子がオーディションを受けるとなったら、ハラハラしっぱなし。

今日は、うちの子達のオーディション経験について、お話ししてみようと思います。




「負ける」経験から得られるもの

私自身は、高校時代の吹奏楽部で、コンクールメンバー選考のためのオーディションを受けた経験がありますが、子どもの頃は、オーディションなんて「芸能人になりたい人が受けるもの」「都会の人が受けるもの」としか思っていませんでした。

でも、自分の子どもが小学生になった時、学校行事において、たくさんのオーディションが行われていると知り、とても驚きました。

田舎ですが、児童数が多い学校だったので、合唱祭でのピアノ伴奏者や、鼓笛隊の指揮者やカラーガードなど、定員に対して希望者が多く出てしまうポジションは、大抵オーディションで決められていたんですよね。

うちの子達には、鼓笛隊でリコーダー以外の楽器やポジションに挑戦が許される6年生になった時、初めてオーディションの機会が訪れました。

息子はスネアドラムに挑戦しました。

「トランペットとかの金管楽器は経験者が勝っちゃうから、僕にはたぶん無理だけど、スネアなら、僕でも頑張ったらできるかもしれないから、やってみたい。」

と、自分から言い出したのです。

「いや、パーカッションも難しいよ。」...と吹奏楽部出身の私は思いましたが、そこは黙って本人の希望通りにさせてみました。

その決意の日から、毎日、早朝や昼休み、放課後の時間を使って練習していました。

でも、オーディション本番では、気負い過ぎたのか、

「先生にじーっと見られて、緊張して頭が真っ白になっちゃった。間違えたし、途中で止まっちゃった...。」

と、うなだれて帰ってきました。




結果は、もちろん不合格。

憧れの楽器は、他の子に渡ってしまいました。

負けた悔しさと、緊張していても体が覚えていてできるくらい練習すべきだったという後悔と...。

落ち込む息子を見ているのは胸が痛かったのですが、結果は結果として受け止め、前に進まなければなりません。

同じく他の楽器のオーディションに敗れた子のママさんと、

「親もこんなに辛いんだねぇ...。でも、今、私達がかける言葉がきっと重要なんだよね。」

と励まし合い、息子には、

「リコーダーも、6年生は隊列の先頭や要の位置について、隊形移動を引っ張る責任があるでしょ。楽器に優劣はなくて、どのポジションも、全体のためになくてはならない、必要なものなんだよ。」

と励ましました。

憧れの楽器を逃した悔しさを抱えながら、腐らずに最後まで鼓笛隊をやり遂げることは、息子にとっては試練だったと思います。でも、それをやり遂げた時、息子には、負けを認める強さや、切り替える力、やり抜く力がついていたと思います。

その後も息子は、勉強や部活で、いろんな「負け」を経験をしていくわけですが(今もその最中です)、泣いたり怒ったりしながらも、心折れることなく、なんとかここまで来ました。

息子の「負けた自分と向き合う」という姿勢の原点は、あの鼓笛隊のオーディションだったなと私は思っています。

幼少期の「自分はなんでもできる」という万能感は、自己肯定感を高めるためにも、とても大切なものですが、一方で、その万能感が一度打ち砕かれるという経験も、「自分にもできないことがある」「自分より優れた人がいる」という現実を受け入れつつ、その上で謙虚に努力していくという大人のマインドへとステップアップするために、とても大切なものなのではないかと、息子を見ていて感じました。

「負ける経験」、「挫折」もまた宝なんですよね。

次回は、娘の「オーディション」経験についてお話ししたいと思います。

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事