ごきげんよう!mamanです。
前回から、幼い頃に、自分の気持ちや状況を上手く言語化できずに、もどかしく悔しい思いをしたことについて書いています。
前回は、私の髪の毛が濡れていることについて、園の先生と、いたずらをしたA君、そのどちらにも誤解されたまま、本当のことを上手く説明できなかった思い出を書きました。
その1のお話はコチラ⇒言えなかった想い。あの時、本当のことが言えたなら ~言語化の力を育もう その1~
実は、この先生とA君については、もう1つ、強烈に嫌だった思い出があります。
私は黒幕じゃない
ある日、A君が、Bちゃん達数人と揉めたのか、
「Bちゃん達に、バカって言いに行こう。」
と、なぜか私を誘いに来ました。
私は彼らの揉め事をよく知らないし、
「なんで私が?」
という思いだったので、
「私は行かない。」
と断りました。
でも、A君は、なかなかしつこくて、諦めません。
悪事を働く仲間が欲しかったのでしょうか。
あまりにしつこいので、
「そんなに(悪口を言いに)行きたいなら、自分だけで行けばいいじゃん!」
と言って、その場を離れました。
しばらくして、Bちゃん達が泣き、A君が先生に怒られていて、なぜかみんなでこちらを見ていることに気がつきました。
・・・嫌な予感です。
その嫌な予感は的中し、先生が私を呼びました。
行ってみると、どうやら、A君がBちゃん達にバカと言いに行ったのは、私がA君にそれを指示したからだ、ということになっていたのです!
A君いわく、
「mamanちゃんが、Bちゃんにバカって言ってきてって言ったから・・・。」
と。
「はぁ?」
です。
A君、とんでもなく事実をゆがめています。
A君は、私の
「私は(Bちゃん達に悪口を言いになんて)行かない。そんなに行きたいなら、自分だけで行けばいいじゃん!」
という発言の文脈をうま~くはしょり、先生に、
「私に行けと指示されたから、Bちゃん達にバカと言いに行って泣かれた。」
と言っていたのでした。
悪事の誘いを断ったはずが、私が黒幕だったことにされていたのです。
この時は、さすがに私も心外極まりなく、必死に、
「ちがう、ちがう!」
と言ったのですが、それ以上の言葉が出てこなかったんですよね・・・。
mamanちゃん辛酸を嘗める
結局、先生にもBちゃん達にも誤解され、罰として押し入れに入れられるという辛酸を嘗めることになりました。
暗い押し入れの中で、一人、
「あのときA君に何と言って断ればよかったのかな。そんなに悪口を言いに行きたいなら、関係ない私を巻き添えになんてしないで、自分だけで行けばいいと思ったけれど、悪口を言いに行くなんてダメだよ、やめときなよ、とA君を止めるべきだったんだろうな。そうすれば、言質を取られて誤解されるなんてことにはならなかったのかもかもしれない。」
とかなんとかそういうことを(こんなにはっきりとは言語化できてはいませんでしたけど)考えて、シクシク泣いていたことを思い出します。
大人になった今では、あの時のA君の小ずるさも、先生のきちんと事実を確認しようとしない対応も、どちらもまずかったでしょうと思えるのですが、あの時の私は、
「押し入れに入れられるようなことになって、えらいこっちゃ。家に帰ってからも、お父さんとお母さんに怒られるんだろうな。」
などと、そういうことにばかり意識が向いて気持ちが沈む一方で、A君や先生に抗議したり、Bちゃん達に釈明したりすることまで気が回りませんでした。
この事件は、今でも、
「先生やA君、Bちゃん達と会う機会があったら、はっきり説明させてもらいたい。」
と思うほどに屈辱的な体験でした。
言語化の力を育もう
言語化できないって、本当にもどかしいことです。
要らぬトラブルを招いて心の傷になることもあると、自分の経験からも痛感しています。
だからこそ、大人は、まだ上手く説明できない子どもの話をよくよく聞かないといけないし、子ども達の言語化の力を伸ばしてあげることも意図しないといけないな、と思います。
大人は、自分で勝手にストーリーを作ったりしないで、子どものたどたどしい説明でも、言葉が出てくるまで待つ努力が必要ですね。
そして、絵本を楽しむとか、家庭内での会話を増やす、子どもの話を遮らないことなど、取り入れやすいことからでいいので、子ども達の語彙を増やすこと、子どもの話そうとする気持ちを削がないようにすることなどにつなげていけたらいいなと思います。
maman
地方在住のアラフォーママン。 夫と、ティ―ンエイジャーの息子・娘と暮らし、教育関係の仕事をしながら、母親としての日常や思いを綴っています。